「米仕事」と「花仕事」

5/9は聴講しているロシア語をぶっちし、ロシア研をぶっちし、遙々浅草までお出かけした。遊びに行ったんじゃない。大好きなロシア語ぶっちしてまでいたのはMACHIBIYAセミナー。

「儲かるインバウンドビジネス10の鉄則」の著者である中村好明さんの講演を聞きにいったのです。

 

そして今回は短い時間ではあったけれど大量の情報が入ってきたので、高校の時の担任が言っていた「鉄は熱いうちに打て」を胸にこんな時間に自分なりにまとめておこうと思う。こんな夜中に。

 

それでは参りましょう。長くなりますよ。

・・・長くなるならとりあえず要点だけ。

0.概要

1.「米仕事」と「花仕事」どちらもできる人になる

2.シビックプライドの形成

3.インバウンド、日本の勘違い

4.公共哲学

5.その他(適当か。)

6.まとめ

 

わあ。軽くレポートが書けそう!課題をため込んでる人間が言う台詞じゃなかったね~。はい。

 

0.概要

・「米」仕事と「花」仕事、どっちもやってますか?

シビックプライド形成していこう

・インバウンドは国家の生き残り戦略なり

・ふるさととしてまちづくりに関わらねば本物ではない!(本文記載なし)

・段階的にいこう。意識→知識→勇気→元気→景色

・観光立国には、まちづくりには、若者、よそ者、バカ者、キレ者、本物が必要だっ

・ひとりひとりがファンづくり

 

1.「米仕事」と「花仕事」どちらもできるひとになる

「米仕事」:食っていくための仕事。今の日本人のほとんどはこれしかやってない。

「花仕事」:社会を明るく、よくするためのもの。行政の担当だと思われがち。

でも、「米仕事」ばっかりやってちゃ日本は22世紀には滅んじゃうって。劣化していくって。

「花仕事」ってのは祭りの準備とか、橋の修繕とか、用水路の掃除みたいな生きていくのに必要な地域の取り組みであってボランティアではない。道徳的ではなく、自分の得にからんでる。自分の得のために必要だから、一見関係ないようで実は「米仕事」と密接に関わっている…んだって。

「花仕事」は公務員がやっていると思っている人多いんだけど、実際は公務員や市議もお金もらってるから仕事自体は「米仕事」。公共セクターの「花仕事」は隣の県と協働とか、違う部署の仕事みたいな目の前の報酬とは直接関係のない仕事をいうそうな。

仕事がうまくいかないなあって時は大抵「米仕事」しかやっていないんだそうですよ。

どうでしょう?

米+花=糀。まちづくりは醸す力を持っている人にしかできないって。私はどうだろうか。おそらく話を聞いてしまったらもう米だけとかできないんだろう。目指せ、醸し人。

 

余談だけど、冬の雪かきは最近では行政の仕事だと思っている人がいて、自分の家の前の雪かきをしないどころか市役所に電話を入れる人までいるそうな。賄い付きで私を雪かきに雇って下さい。…それは置いといて、隣の家の前の雪かきまでしちゃう~みたいなのも、「花仕事」といえるということなのでしょう。

 

2.シビックプライドの形成

まずこのプライドというのは、単なる地域自慢ではなく、責任を伴う、地域に対する貢献のことを指すらしい。そしてこのシビックプライドが観光立国の基盤。

・・・あーだめだ。シビックプライドのところ理解し切れてない。

パス。3回使えるパスのうちの1回目。勉強してわかったらちゃんと書き足しに来ます。

 

ということでぶっ飛んで…まさかのぶっ飛び切れず寝落ちして数日経過…。

3.インバウンド、日本の勘違い

これ、私も勘違いしてました。そりゃ周りの人が勘違いしてたら、周りの大人を信じ込む純粋無垢な高校生だった頃の私はインバウンド=海外の人が観光に来ることだなと。そりゃなるよね??

まずインバウンドは目先の利益やツーリズムにあらず。インバウンド=国家の生き残り戦略。けっこう指す範囲広いんですね。国同士の熾烈な争い…というわけですな。

日本のインバウンドマーケットはまだはじまったばかり。観光客のほとんどは東京に来るし、伸び率で見たら実は香川が一位で関東は頭打ち状態のよう。地方では始まったばかりなんですね~。

ここで、寝落ちした後数日放置したプラス面が出るよ!

昨日インターンのお話聞きに行ったときに代表の方と観光のお話になった。

そのとき私が、急に外国人増えちゃうと多分びっくりしますよね~みたいな話をしたら、びっくりとか以前に当事者意識が日本人には足りないのでは?という話になった。行政は観光産業でお金落としてもらわないと行政サービスを満足にできないのが目に見えているけれど、数十年先まで見据えて考えられている市民は果たしてどれほどいるのだろう??

こんな話とつなげて、地方ではインバウンドははじまったばかり。シビックプライドも形成段階。ううううん、混乱。どうしていけばいいんですかね?多少の衝突は不可避ですか?それとも自己責任で地域をつくっていけるようになりますか?未来の私よ、答えが出たら書き込んでくれ給え。

 

はい。4.公共哲学(Public Philosophy)

日本では哲学を文系に閉じ込めたのがまず悪いってよ。確かに私も驚いた記憶がある。『いま、世界の哲学者が考えていること』みたいな本読んだときに、どうせアリストテレスの新しい学説が~みたいなお堅いことでしょ?と思いながら読んだら大間違い。シンギュラリティの話やら、監視社会の話やらばかりでびっくり。()

そしてこの公共哲学というのは、Publics(様々な公共が折り重なってPublics。公共世界。)に支えられている。

ちなみに中村様は現在肩書きに公共哲学者を使われているようです。

うーん。公共哲学は私には新分野。

 

そしてタイトルが事案。5.その他。

くくるのめんどくさくなったんだろとか言っちゃだめ。

5-1:おもしろい事例

①指宿春節フェスティバル。中村様の提案によるイベントが伝統化しつつあるそうです。

アジアの中で日本はなぜか24節季、太陰暦をほぼ使わなくなってしまった国。農耕民なのにね。春節は中国やらのいわゆる旧正月。その時期に合わせて春節イベントを開催するようにしたらしい。そしてもう一つ、指宿ではみんなで手を振ることをはじめたそう。電車で帰る観光客に、電車を見た市民みんなが手を振る。途中で感動して泣き出す観光客もいるほどだそうで、是非私も行ってみたいと思ったらいまや予約の取れない人気ぶりらしく。よ・け・い・に・い・き・た・い!

②品川英語がちょっと通じます商店街。

最初は英語なんて無理よ~なんていっていたおばさま方も、何回も英会話をやっていくにつれ自信がつき、ちょこっと英語ができる商店街になってきたそう。これはすぐにいけそう。いってみたい。

5-2:5つの「き」と観光立国に必要な5つの「者」

・意識→知識→勇気→元気→景色

②の事例がまさにこれ。意識が変われば知識がほしくなる。知識がつけばそれが勇気になる。勇気が出ると実行に移せて、自信になる。元気になる。元気になると協働するようになる。そして景色が変わる。このとき見える景色は、みらいの現実である。

・観光立国には…若者、バカ者、よそ者、キレ者、本物。

まちづくりの話なんかするときにもけっこう若者・バカ者・よそ者は集まる。けど、キレ者(専門家)と本物(地元民)を抜きにしてはいませんか?特に地元の人たちをのけものにするとどうなるか。中村様によると、どこにでもあるありきたりな街ができてしまうと。どこかにありそうな雑貨屋、どこかにありそうなカフェ。よそ者の若者たちによってのみ作られる街は本当にその地域を活かしきれているのでしょうか?とても考えさせられる提起に思えた。

本物はその地域に長く住んでいる人たち。よそ者若者の役目はむしろ母体数の多い本物にいかに気づきを与えられるかにあるのかもしれないなと思った。

5-3:この先

地域のファンを国内外につくる。ひとりひとりがファンづくり。

交流人口よりも関係人口を増やす。つまり、リピーター化。

インバウンドは「ハレ」の消費と中村様は仰いました。つまり、少し値が張ろうと、ここでしかできないことならやろうと思ってくれるし、「おもてなし」を標語にするのなら丁寧さを追求するあまり画一化してしまっているサービスを一度考え直すのもありかもしれない。

 

〈まとめ〉

また長々と書いてしまった。

鎌倉や京都で道一本それると感じる違和感がこれなのかなと思うんだけど、当事者意識を持っているのって行政や観光に携わる人ばかりだなと。つまり、多くの市民が他人事だと思っていたりする。

もちろんインバウンドがすべてとかいうつもりはないけれど、何も知らない何も考えていないうちは、誰かに丸投げしているうちは、拒否する資格もないのだと思う。私たちは今のところ独裁国家に生きていないから。

「政治家は22世紀まで考えない。22世紀に投票してくれる人は目の前にいないから」

22世紀を生きる人間の世界を作っているのは過去の私たちである。

観光の話を聞きに行ったつもりだったけど、経営から地域コミュニティまで多岐にわたる問題について考えさせられたなと。

私はこれから「醸す人」になりたい。

 

ということで、たった1200字以内のレポートを5日もため込んでるくせに4000字書けるんかーい!っていうね。え、4000ってがち目にやばないか。

エッセイなら書けるんです。論文やレポートがチョットニガテなだけよ。

はい。お疲れ様でした。

 

おまけ。

今年は明治維新150周年おめでとう!せっかくだから漱石やら鴎外やらに浸る年にしてもいいかもしれない。

明治の知識人たちが今の日本を見たら、何というのか気になるところ。喜ぶだろうか?失望するだろうか?

IT技術なんかが一気に進展してグローバル化が進んで、150年もたつと平成維新なんていわれるようになるのだろうか。私たちが今年中に異常なアクションを起こせば言われるかもな笑

150年先まで生きていたいとは思わないけれど、150年先も私が住んでいるここが、誰かのふるさとであればいいですね。きっとこの記録は150年も残らないのだろうけど。

…はかなーい!ということで、おやすみなさい。