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珍しくおとなしく・・・。珍しく暗いなあ。

最近よく思い出す人たちがいる。ほとんどの人の名前も顔も覚えていない。覚えているのは存在のみ。

誰か。英語の先生たちだ。学校ではない。英語教室の先生だった人たち。

私は小6~中2まで中国に住んでいて、英語教室に通っていたのだけど、思い出すのは小6のとき通ってた英語教室の先生たち。

私の基礎英語力はここでついたと思っているくらい私の中では当時思ってた以上の価値が生まれていた場所。

 

基本てきとーだからある日いきなり担当の先生が変わっていたり、たぶん一年間で6回くらい先生変わった気がする。彼女に振られて酒飲みまくって去っていった人もいたし、授業2回くらいしかやってない人もいた。4か月5か月くらい続いてたのにいきなり次の週からいなくなるって宣言されたり、気づいたらいなくなってたり・・・。

 

なんで思い出すのか。名前すら憶えていない人たちにどうして会いたくなるのか。

もしかしたら後悔があるからかもしれない。

英語を話す勇気がなかなかでなくて話し出すことができない、英語の歌を歌うことも拒絶気味・・・。ほんとに英語を学ぶ姿勢としては最悪だったと思う。先生たちはなんとかして楽しんでもらおうと必死にいろいろやってくれてた。わかってたからうまく話せない、声が出せない自分が嫌だった。ほんとはもっと話したかった。今思えば感謝してもしきれないほどたくさんのことを教えてくれていた。

でも、もうどんなに会いたくても会えない。連絡先も知らなければどこの国にいるのかもフルネームも何も知らないから。

会って感謝を伝えたい。話したい。なんでかわからないけど最近驚くほど強くそう思う。

 

特に会いたい人がいる。一番長く教えてくれていたロシア人の先生。記憶にあるのは部屋の中で一緒にサッカーして電球のカバー落として受付のお姉さんに怒られたことと、一曲の歌を教えてくれたこと。例外でなく私が歌うのを拒絶した歌です歌。高一くらいまでタイトルすら忘れていたのに、記憶をたどって、思い出して、今は大好きな歌。そして世界の国の首都を教えてくれたこと。

サッカーはやめてしまったけれど、教えてくれた歌は今でも歌えますよ。教えてくれた世界の首都は私が社会科に、世界史に興味を持ったきっかけですよ。高校生になった今でも教えてくれた首都は忘れてなくてとても役に立っていますよって伝えたい。

 

最近出会った人たちはみんなFacebookで私とつながっている。もちろんコンピューターが使えなくなればきれちゃう縁とかいわれればそれまでかもしれないけど、でも会いたいと思えばきっと職場や学校、イベントに顔出してやってればまたいつか会えるかもしれない。二重三重にもつながってるつながり。母との共通の知りあいだったり、友達の友達だったり。

 

久々に英語の先生たちに会いたくなった時、LINEやFacebookTwitterでつながっていられるのが当たり前の世界に慣れすぎていたのかもしれないって思った。

便利になりすぎて、どんなに会いたくても会うのがとても困難でほんとうに人生で一度きりの出会いかもしれない貴重で、だからこそ価値のある出会いを忘れていた。

「つながること」に重点を置きすぎて当たり前のように毎日繰り返す「出会い」自体に目を向けていなかった。そもそもいつのまにか「つながり」の抽象性ゆえに本質を見失ったのかもしれない。

 

いまさら後悔したところで会えるわけではないし、相手ももう私のことを覚えていないでしょう。街ですれ違ったからといって某映画のように振り返ることもないでしょう。だからせめて、その人との「出会い」があったことを忘れないように、その先生が教えてくれた歌をお風呂でちょっと口ずさむんです。忘れることは怖いから。忘れてしまったら、忘れられてしまったら、その人の中で私が死んで、私の中でその人が死んでしまう気がするから。心の片隅でちょこっとでもつなげておきたい。そのくらいしかできないけど、歌でつながっているって言えるかな。

 

つながりは大事。出会いは大事。言葉ではわかってる。うん、そうだよね。ってなる。でも、その本質はつかめない。そもそも何をもってつながりというのか。何年もあっていなくてもお互いが想いあっていればそのつながりはとぎれないのか、SNSでのつながりはどれほど強固なものなのか。SNSでのつながりはツールに過ぎないのか、はたまたSNSでしかつながることがかなわないのか。

 

いつ死ぬかわからないから言いたいことはいっておけというのはよく聞くが、生きていても、近くにいても、気づいたらつながりがなくなっていることがある。そんなことわかっているつもりでも、それでも素直に思っていることすべてをその瞬間に口に出すことは難しい。まあ難しいから自分で選択して「言わなかった」のならそれでいいと思うけど。

私の場合英語の先生たちには「言えなかった」だからいま後悔している。もちろん後悔だけじゃないし、後悔先に立たずというから後悔だけをずるずる引きずるつもりはない。

ただ、小さな出会いでもここまで人に深く影響を与えるのなら、日頃の生き方もやっぱり考え直すべきか・・・。一日一善と校長先生にいわれたけれど、顔も覚えてないけどとりあえずなんか席譲ってくれたことだけは覚えてる。とか記憶の奥底に眠るレベルのヒーローになりたい。だれだかわからないけど、その存在を思い出すとホッとこころが温まるような存在になりたい。でも、なろうとおもってなれるもんでもない気がする。英語の先生たち絶対数か月だけの教え子がこんなこと考えてるなんて思ってないっしょ。

 

自分の気持ちが表現できているのかも、言葉や表現が適切かも、思っていることの通りかけているのかも全然わからない。何度読み返しても文章つながってない気がしてならないけどまあ今回はしょうがないということで。

 

いろいろと考えすぎちゃうからこのへんでやめよ。

た「つながり」と「故郷」、「夢をもつこと」の3つは個人的にけっこう考えることが多かったから定期的に自分の考えを整理したいな。