先輩面してきた。

今回は間違いない。長文だよ絶対長くなる。

長くなるから今日のまとめとうすしおの過去編で一回切ろう。今編は別で書くね。

 

今日は特進コースの新一年生に三年生の先輩たる私たちが先輩面して自慢しに行ってきたんです。自慢とは口ばかり、アドバイスにもならないほどただの雑談となってしまった気もするけどね。

部活と勉強の両立とかね、朝学習大事ですよーとかね、校外学習は参加しなね~とかね。などなどありきたりなテンプレのような回答をした後、笑顔で、「まあいろいろ言ったけど一年のうちは危機感感じるくらい遊べばいいと思う。」などと適当かましてみたり。定期テストのための勉強はあんま意味ないから言い訳できるくらいの点数取れるくらいに勉強して残りは受験勉強やっときなとか学校に喧嘩うる友達がいたり・・・。まあ、やりたい放題。笑

一年生に話せよ~といわれていた内容は5ミリくらいしか話していないので代わりにここに自分なりの振り返りでも書いてみようかなあ。

 

うちの学校の特進というのはキャリアデザイン的なのに力入れてるいろいろと自由度の高いコースでして、うちの代は2クラス、1年と2年は3クラスあるんですね。

人数が少ないゆえに生徒が企画して行う校外学習があったり、いろんな分野の大人たちや先生をよんでセミナーやったり、HRの時間にはスピーチやワークショップ、ポスターセッションやったりとまあ面白いこといろいろやらせてくれるおせっかいで大変なコースなんです。

私のクラスは担任が特進の主任やってて一番「そういう」活動が盛んなクラスなんです。運がいいのか悪いのか・・・。そんなクラスで私は2年間校外学習係として何個か企画したり、いろんなイベント出たりたくさん議論して成長したなあ~(しみじみ。)

 

そこで、どんな成長があったのかと、授業や授業外に何やってたかをご紹介。

 

まずどんな成長があったか。ざっと挙げていくとこんな感じ。

コミュニケーション力、書く力、物事を批判的に見る力(クリティカル・シンキング)、スピーチやプレゼン能力、独創性、企画力、議論する力、物事をつなげて考える力、興味の幅の広がり、(頭の)柔軟性、論理的思考、英語力、、、

こんな感じかな。

 

ここでどうやって力が見についたかを見る前に、私の過去の過去を振り返ってみましょうか。自分でいうのもなんですがけっこうヤバいガキンチョですよ。間違いない。

いや~人ってこんなにも変わるんですな・・・。

 

~過去編~

まず、人見知り。初対面の人と話すなんて論外。近所の子と遊ぶのも苦手で「協調」とか「社会性」みたいなところが欠けてる感じ。幼稚園にいけば園長先生が嫌すぎて裸足で砂利道走って幼稚園から脱走するわ、ピアノの後ろに隠れたきりいつまでたっても出てこなわ・・・。小学生になるといい具合に言葉が話せちゃうわけですね。2年生くらいから先生に突っかかっていきます。人見知りの割に。でもしょせん人見知りで恥ずかしがり屋で人とあまり話さなかったので話す力とか欠如してるわけですよ。そこに降りかかる試練「朝のスピーチ」毎回夜念入りに台本を練っていた私でしたが、ある日日直の日を忘れる大失態。家を出てから気づいちゃったんですよね。家に逃げ帰って大泣き。たかがスピーチ原稿できてないだけで。気が強くて「和解」とかいう言葉を知らない小学生の私は上級生男子でもうられた喧嘩買っちゃいました。「ハナシアイ」なんて私の辞書になかったんでしょうね。人と仲良くするのは苦手だし、うるさいのも苦手だし(これは今も変わらないけれど)、そもそも人とかかわりをもつことが面倒でしょうがなかった。

小学校って孤独には厳しい環境ですよね。漫画みたいだけど結局逃げ場は図書館になるわけです。休み時間のたびに走って図書館行ってひたすら本を読む。シートン動物記とかファーブル昆虫記とかマジックツリーハウスみたいなシリーズものを次々読破。休み時間も放課後も本と向き合う。なんたる暇人の極みか。そりゃなんにでも手出しますわね笑

小学生の頃の私は、今の私が鼻で笑われるくらいほんとにひたすら読んでた気がする。活字中毒だったろうな。なにか読んでないと気が済まない。なにも読まない日があってはならなくて、図書館休館日は国語の教科書をひたすら読み漁る。こうして小学校4年まですごした。5年生の一年間は吹奏楽やってたから忙しすぎていきなり読書量落ちた。というか小5以降しばらく本を読まなくなる。

吹奏楽はもともと友達に誘われて入ったわけだけど、今思えばよく続いたもんだと思うほどハード。一応人並みの忍耐力が当時はあったんだろう。(今は・・・お察し。)

相変わらず人間関係はそんなにうまくいかない。そして小6で父の転勤について中国へ渡り新生活へ。という感じだった。ちなみにあれほど人が嫌いでたいして上手にコミュニケーション取れなかった割に中国いくといわれたとき泣いて親を恨んだ。なんたって人見知りが一人も知ってる人のいないとこ行くなんてそりゃどんな拷問かって話だし、なんだかんだそれまで「故郷」を離れたことは一度もなかったわけですからね。

中国へ行ってどうだったか。まあ環境もあって多少は丸くなった。ちなみに現地校ではなく日本人学校。でも相変わらず話すのとか人前に出るのは得意じゃなかった。時々激しく喧嘩するし・・・。協調とか我慢とか他者へのおもいやりとか教えてあげたい・・・。その後少人数アットホームな学校のおかげで次第に慣れてはいきますが。ほかにも大人の人に交じってトランペット吹いたり部長や生徒会副会長をやるようになったからだいぶ人間力が形成されていったのが中2。

 

そして、とりあえず中2まで生きて私に足りなかったものは明らか。コミュ力、頭の柔軟さ、書く話すを含める表現力などなど。「人は社会性を持つ動物である」なんていうけれど、飼い猫のほうがよっぽど私より社会性あるんじゃないかって疑問でならなかったもの。

 

中3で帰国。クラスに溶け込むきっかけは、天が唯一私に備えつけといてくれてたとも思える運動能力。体力テストの50m走で転校生がいきなり7秒台叩き出したらそりゃ驚くよね。意外にもこれが転機?このころから「人間」になれてた気がする。

受験は公立と私立2校を受けて、公立は落ちた。これは絶対勉強不足。日本人学校の先輩は受験期日本に行ってしまうし、私が日本へ帰ったのは中3.しかも私は姉で近い年の親戚などもいないのでそもそも受験がどういうものかまったくわからない。どうしていいかわからず塾に言われる通りかそれ以下しかやらず、結局滑り止めの今の高校へ進学。

高校へ入るころにはそれなりに人と話すくらいはできるようになっていたし、われながら相当暖かい人間になってきたなあと実感したものです。でもまだ頭わっるい。理解力ないし表現力ないし、頭ではいろいろ考えてんだけど言語化できない。難しいこと議論されると翻訳こんにゃくほしくなるし、みんなはすごいなあ~と指くわえて見つめるのが最初は精一杯でしたのさ。

 

過去編はこんなところで。伝えきれたか怪しいけれど、とにかくスタート地点ズンドコです。スタート困難だからそりゃ成長はめまぐるしいよね。ほんとに。

 

大雨なので休校に賭けて「今編」書いちゃおうかな・・・。でも明日学校あるとまずいし、明日のネタがなくなるんでやっぱ温存。

明日あらためてなんてかけるのでしょうか。

大学見学!

金曜日は午前中に東洋大学を見学、午後は千葉工大で私大50校くらいが参加する学校説明会へ。

 

東洋大学…めっちゃきれい。やっぱ私大だなあ・・・。学食もいろんなお店あって、おおっ!ってなりますよそりゃ。偶然行きたいのが国立なだけで、でも逆に国立いってやりたいことないんじゃ受験期に私大にゆれるよねこれ。

国公立より早く決まるし、ほんとに改めて自分は大学でなにしたいんだ、なんでその大学に行きたいんだっていう軸をしっかりもってないとブレる。

 

午後の説明会では逆に外観ではなくどういう学校かっていう説明が聞けたことで選択肢が広がったな~。留学制度が魅力的だったり、学部でやることが魅力的だったり、第一志望は揺らがないだろうけど、併願校を確定させることができてひとつ安心。

 

行く前は模試の翌日だし朝は満員電車だしいやだようとぐだってたし、朝は結局満員電車で酔っちゃって着くまで散々だったんですけどね、いってよかったんだよたぶん。

一番外出て良かったと思えたのは水道橋と津田沼の桜吹雪っていう大学と全く関係ない理由だということは内緒。

来年はどこで桜を見るんだろうとかセンチメンタルな気分にもなりました。

・・・桜のない国までいっちゃってるとか私ならありえて自分ながら怖い。きっと日本のどっかで花見してますよね。今のところ国出る予定とかまったく立ててないですからね。

そろそろ模試が趣味の範囲。

木曜日は丸一日模試だった。

普通は嫌な日、面倒な日なんだろうけど、個人的には最高だった。

出来が最高だったんじゃなくて、模試が楽しかった。

楽しいっていうと表現が雑かな・・・。

 

何が好きって集中力が極限まで高まる緊張感とか、解けた問題がそのまま結果につながる単純な快感とか、実力が数字で出るところ、なんだろう。たぶん。最初の一つ以外は自分でもよくわからないけど。

 

模試の時の緊張感とか集中力が極限まで高まる感じって私の中で今までやってきたスポーツの感覚にすごくつながる。(水泳、サッカー、バドミントン、テニス、バスケ、合気道などいろいろかじっておりました。)

練習というより、試合の時の感覚。始まるまでずっとドキドキしてて心臓バクバクなのに始まった瞬間呼吸も心臓も止まってるんじゃないかってくらい冷静になって必要な感覚だけが研ぎ澄まされていくような感じ。ギューって目の前のテストとか試合とかに引き込まれていく感覚。それが、すごく好き。

テストが終わった瞬間緊張の糸が切れてそのまま机に伏せちゃうくらいの極限の集中。結局スポーツやめても限界突破しちゃうあたり精神的な成長が良くも悪くもないなとおもうけど。笑

そして限界突破するほど極限の集中で全神経集中させたのに解ききれない問題、勝てない相手、みたいなのがいるのもまた面白くて。(模試に関しては全部正解の反省なしに越したことはないんだけども。)

 

・・・いやあ~つくづく思う。結局ただの変態じゃないか。

 

小さいころからスポーツも音楽も何一つ極めることはなく中途半端だし、もともと飽きっぽいからいろいろ手出してた結果、好奇心とか集中力みたいなとにかくなにかしらに応用できそうなものは身についてるみたいでなによりですほんと。なんだかんだ変態の趣味は汎用性高いわ。

 

ペーパーテストで能力計るのが賛成とかやればやるほど優越感に浸れて素晴しいとかそういう意味で模試バンザイなんじゃなくて、やってたスポーツや楽器をすべてやめた負けず嫌いの意地の行き先という変態の領域的な意味で模試バンザイ。

すさまじい負けず嫌いゆえに相手がいると恨みそうになるのですが模試のいいところは解けなきゃ自分の努力不足で外に敵を生まないことも理想的。

 

結局、模試は負けず嫌いの変態がストレス発散の場に使っているという話ですね。

コミュ力や適応能力身に着けた今、またこの集中力をもってスポーツや楽器に向き合いなおしたい気持ちも芽生えた今日この頃でした。

 

ところで、私の汎用性高い変態の伝説は幼稚園の頃当番が帰りの会で自分の気に入った国旗と国の名前を紹介するという企画で「アルバニア」と答えたところまで遡るわけですが、おかげで日本、アメリカの次に覚えた国名はアルバニアでした。中国や韓国じゃないんです。そんな変態の趣味が春休みの課題でもらった白地図に英語で80か国くらい国名と首都書き込んじゃって元素図鑑や日本の名城図鑑買っちゃうほど長じてブレーキが作動しないことをここにご報告。

 

※もちろん模試本来の実力試し、反省材料に、入試の雰囲気になれるためになど普通の活用もしてますからね。

 

 

イライラはなにも生まないのだけど・・・

今日は朝から放課後まで定期的にイライラしちゃってたなあ

 

朝のバスは珍しく激コミで、後ろの方に詰めたのだけどゲームやってるおじさんが絶対に奥に進んでくれない。自分しか見えてないのかなあと少し悲しくなりながら学校へ。

 

一応高3になったので朝の教室は自習室。私語厳禁になっている。

でも8時過ぎたあたりから人が増えるにつれて周りの人と教室内で話す人がやっぱりいる。

集会へ行くときはずっとしゃべっていて、学級委員が注意してもその注意すら聞き流す始末。

昼休みや放課後も勉強している人がいるのだけれどやっぱり大きな声で叫んだり遊んだり。

帰りの掃除のときは担当なのにほうきもって遊んでるだけの人がいて実質二人くらいで教室掃除しているようなものだし・・・。

 

もう少し配慮があってもいいんじゃないかなと思う反面、昼や放課後は自習室や私語厳禁と決まっているわけじゃないから少し注意しにくい。お願いもちょっとしにくいなという感じ。朝の場合は私語厳禁なので雑談は廊下ということになっている。これは守らなきゃいけないから注意もできる。掃除も同意のうえで担当の曜日を決めているのだから任された役割は全うすべきだと思う。それに対してお昼休みや放課後は勉強する人だけを優先して友達と話す人を寒い廊下に追いやるというのはそれはそれでやっぱり違うんだろうかと悩んでいるうちに一日が終わる。

 

騒ぐ人と騒ぐのをやめてほしい人はどちらも生徒という対等な立場だからどこまで言っていいものなのか難しい問題だと思う。

 

・・・ただ、静かにしなきゃいけない場で騒ぐとか、模試が二日後に迫っているのに教室で大騒ぎというのはさすがにやめてほしいのが本音。

私の心が狭いのか、周りの視野が狭いのか・・・。

注意するのも憚られるが、何もしないで傍観者でいるのには耐えられないような感じ。

学級委員も困っちゃうし、半分くらいが受験に向けて集中し始めてきたことで騒ぐ人がお決まりのメンバーになってきててこれからのクラスの雰囲気が不安。

 

ここんとこ楽しく生きてたからマイナス思考に巻き戻されたの久々だった。これからいろいろな発表や受験やで一層ストレスがたまるのにこんなんで大丈夫かと不安になった。

 

気持ちの整理をつけるためとはいえ、見てテンションさがちゃった方がいたらごめんなさい。明日からはまた日々の活動報告や気持ちがプラスに向くようなこと書こうと思ってます。

消化中

何人かの方が私のブログを見てコメントをくださったので、今日は勉強の合間に頂いた意見を消化していました。

 

日曜日や長期休暇には外部イベントに参加するようにしていたとはいえ、普段文章を見せ合う相手や議論する人たちは基本的に三年間かわらないクラスのメンバー。その中で様々な価値観があるとはいえ、うちのクラスの文化みたいなのが出来上がってくるから、私の常識とかをつっついてくるようなコメントはとても刺激的でうれしかったです。

 

色々なことを多面的に考えられるようになったり文章かけるようになってきたのは担任やクラスのみんなのおかげだと思う反面、思ったよりクラスの文化が染みついてるのだなと感じました。まだまだ年齢的にしょうがないとはいえ経験や知識も少ないなーって。

 

担任はずっと「僕に騙されちゃだめですよ」とか「ほかの先生たちにも意見をもらいにいって自分の気に入った意見を取り入れればいい」とか言ってたし言ってるなあというのを思い出して、担任を信頼しているからこそちょっと感化されている部分が良くも悪くもありそうだなと思いましたね。騙されちゃだめだ。担任の意見だって参考意見だ。

 

まあいろいろ考えたけど、最終的に思ったのは未来の自分がこのブログ読み返してどう思うのかなってことかね。去年書いた世界史論述すら鼻で笑っちゃうくらい文章力足りなくて今の自分と民主主義の定義とか全然違ってなんじゃそりゃ!って思いながら読むのに、こんなおもったことつらつら書いているブログを十年後とかに読んだらなつかしく思うのかな?黒歴史かな?もしかしたら自分が言ったくせに反対しはじめるかもしんないし、逆にこれが人生のバイブルになってんのかもしんないし・・・わかんないけどちょっと楽しみ。

 

それでは「卒業」レポートの名が付きながらGW明けには提出できるようにといわれているレポート作業を続けてきますかね。自分の好きなテーマで書けるから内心かなり楽しかったりする。夜の息抜きだね。

ひとこと。

たまにはかるーく。

 

LINEの一言ってなにかけばいいんだろ?

ひとによって使い方いろいろだけど、けっこうセンス必要だよね・・・

しかもみんな見てないようで意外と見てる!!

 

新学期には〇組の人一年間よろしく系の投稿が増えるけど、3年間同じクラスの私には関係ないしなあ、、、

 

って色々試行錯誤して変えてるうちに私の一言欄はTwitterみたいになっております。

 

面白い使い方があれば教えてほしいなんて笑

勉強時間は長い方が偉いのか?

タイトルちょっと挑発的ですね・・・。

 

なんか長くなったから概略でもつけておこう。下にどんな話書いたか。

・10時間勉強して80点と5時間勉強して80点ならどちらをとりますか?

・あまった5時間はどうしましょ。5時間さらに勉強する?いえいえ。

・参考にならなすぎる英語の高得点奪取法とは

・古文漢文、英語って現代語と違うからって壁つくってません?それもったいない!

・平成庶民の恋バナ、平安貴族の恋バナ

タイムマネジメント。時間は平等、その価値は平等か?

 

受験勉強して模試受けて結果を受けて一喜一憂みたいなことやってると、毎日十時間以上勉強しなきゃダメとか、やれば結果はついてくるってほんとかよって思っちゃうんですよね。

毎日十時間以上やればそりゃ時間やってるわけだからたくさんのことに触れられはするんだけど、10時間以上ひたすらやったことって次の日にどのくらい覚えてるもんなの?とか、努力する人は確かに偉いけど、努力に結果がついてこないのなら時間配分変えるだとか方法をかえてみるだとかなんらかの対応策を考えるのが一番大事なんじゃないかなと思うわけです。過去の自分がそうだったからあえていうけど、長時間勉強して努力したから満足。それで結果は出ないって自己満じゃない?私、民主主義は過程重視派なんだけど、人生は結果重視派なんです。5時間に削って結果が比例して落ちたとかは論外だけど、だらだら10時間やったり、どうせ10時間かけてやった内容忘れちゃうならということで私が高一から取り入れてやってみてたことは、毎日勉強はする、定期的に復習、同じ教科を続けてやりすぎない、睡眠時間は7時間確保。休日なら1日の12時間は暇に使えるから、ノルマは5時間。それ以降は集中力がもっているのなら続けるけれど、切れたら私流の「学び」というのをする。

 

結果はどうかって、、、意外といい。

定期テストなんかは定期的に復習してよく寝てるから1日2~4時間くらいの勉強で10時間の人と並ぶ点数取れるくらい。

 

そして、一日10時間やる人とも点差がつかなくて一日5時間ですむなら机に向かう勉強は5時間でいいじゃない。点差がつかないのならそれ以上その作業を続けることは無駄な5時間なのだからという意見。そんで余った5時間のうち1時間くらいはゲームやネットサーフィン、動画鑑賞など遊びまくっていいと思うけど、残り4時間をどう使うか。教科書で学んだことをより実用的に使っている本を読んでみたり、世界のニュース見てみたり、それで感じたことをブログやフェイスブックに書いてアウトプットしてみたり。ここまでやればその知識はきっと忘れない。そうやってより実体験や五感で触れる学びをやってみるのもいいんじゃない?生物で出てきた植物を見つける散歩に出てみるとか、世界史で学んだ国をグーグルアースでめぐってみたり笑

 

とにかく成績が上がらなくて焦ってる人にこそオススメしたい。今の状況に危機感抱いてない人は自分のペースで自由に取りあえず本屋で一冊本買って読めばいいと思う。

切羽詰まってる人は心が荒む前に机に向かってノートに書く以外の勉強ってのもあることを知ってほしい。

 

とまあここで、私がやってるオススメだけど参考にならないと怒られる英語の勉強法を。

・TEDや大統領のスピーチをシャドーイング

フェイスブックの英語のコラム的なの読む(単純に多読になるし、海外の文化や常識もしることができる)

・洋書をよむ(星の王子様とかレ・ミゼラブルとか武士道とか)これは多読。もともと日本語で読んだことあるものならよくある論文形式のものよりずっと内容が頭に入りやすい。

・海外のアニメ、映画をみる アニメは単純でよく使う日常フレーズが使われてて楽しくリスニング力もあげられる。映画は時間かかっちゃうのが玉に瑕だけど、ローマの休日なんかはこれだけで日常会話がマスターできるといわれるほど。

 

とまあ、まじで受験勉強の参考にならないと怒られる。でも、これのほかにはやっておきたい英語長文500と学校の宿題しかやってないけどセンターレベルだと8割9割取れるんだよなあ・・・

 

興味がないとできない。って言われてるけど、それって知らないうちに「英語」に壁をつくっちゃってるだけで、将来やりたいことや学びたいことがあるのにどのコラムも読みたくないなんてあるわけがないんだよね。

 

古文漢文も同じ感じで、なんで現代文取れないくせに漢文古文とれんの?!ってよく驚かれるけどまあ読んでるからですよね。原文を。原文読めたら問題自体は現代文より簡単じゃないですか。漢文の読み方を現代仮名遣いで書きなさいとか『学問のすゝめ』や夏目漱石森鴎外の本読んでりゃかってに読めるようになるもんだよきっと。古文はやらなきゃいけないと思うから嫌なんだろうけど、何百年何千年と受け継がれている物語にはきっとそれなりに理由があるんだよね。わたしのこのブログ100年先までよまれてるなんて思わないでしょ?!でも、平安貴族のただの日記は何百年も読まれてんだよね。こーれは読まない手はない!外れなしの大当たり必至だよ?

現代人だって恋バナやゴシップネタ披露会友達同士でやるじゃない。いっそ『蜻蛉日記』は最近彼氏が全然会いに来てくれなくてなにげに机の上見たら違う女に送ろうとしてた手紙出てきたんですけど!あっきれちゃうわあ~という道綱の母からの恋愛相談とでも受け止めてみたらふつうに面白く読めないかね?恋愛小説はバカ売れするんだから、平安時代の本なんてたいてい恋愛小説みたいなもんじゃない。古典ブーム起こってもおかしくないでしょこれ。(さすがに無理がありますね。はい。)

ファンタジーやSF読むんだから竹取物語だって一緒じゃない。ジャンプ読むんだから平家物語とかもはやちょっと風流な歴史漫画と変わんないって。ただ、古文漢文は難しい、面白くない、勉強みたいだって壁作っちゃってるだけでさ。。。

 

とまあさすが文系という感じに英語と国語について語ってみたけれど、今日私が買ってきて読み始めた本は『予測の未来 微分積分と確率・統計でビジネスの未来を読む』

なんで買ったか。ビジネスに興味はあるでもそれよりも、微積が好きだから。確率を実例で学びたいから。そう、私の受験勉強早急の課題は確率を完璧にすることだから。

 

時間の使い方は結局個人の自由。私は毎日30分くらいブログに費やし、1~2時間くらい教養に費やし余った時間で基礎知識詰め込んでアウトプットする場所を探してる。

やっとくに越したことはないから1日12時間みっちり参考書の端から端まで勉強するのも、1日中テレビ見て過ごすのも全部個人の自由。だからこそ周りに流されず、自分が必要なことを必要なだけやる。時間を自分で管理するタイムマネジメントって大事じゃない?お金は貯金して、家計簿書いてって管理するけど、時間はあるのが当たり前、皆に平等に与えられているから1時間の価値はビルゲイツでも私でも一緒とか思いがちだよね。でも、同じ給料渡されて本買う人、ゲーム買う人、食べ物買う人、服買う人…いろいろいるし、買ったもので得る成果もそれぞれ違う。同じように時間だって1日24時間平等に与えられちまったもんだから人は何かしらをして時間を消費してる。お金稼ぐのに使う、本読むのに使う、お風呂入るのに使う、それぞれで違う価値を生み出すものでしょう。与えられた時間は一緒でも、その時間で得られるもの、できることは人によって違うのでは?

 

なめくさったタイトルのわりにいろいろ書いてしまった。

いつかかいてみたいことだったから自己満足。

 

結局何が言いたかったか。時間の使い方はお金以上に考えた方がよさそうだ。なにをするのも個人の自由。最大のリスク管理だね。志望校選ぶよりよっぽど時間の使い方考えることの方がリスク管理だよほんと。これ読んでちょっと考えてくれる人いたら嬉しいな。

そもそもこんな長文読んでくれるひとがいると嬉しいな。。。

 

 

最後に誤解生まないように言いますけど、私努力できる人は大好きだし尊敬してますよ!!

受験での目標は今日の自分を抜かし、努力人の昨日の努力抜かすことなんで。

勉強時間減らす=逃げとか努力しないだとは思わないでほしいですね。

受験はそんなに甘くない!といわれるかもしれませんが、これも私のリスク管理です。王道から外れるのはリスクでしょそりゃ。でも結果が王道よりましだったのだからしょうがないね。