今日はちょっと考えた。

地球って本当に丸いんでしょうか?

ガガーリンは言った。地球は青かった。へーそうか。でも私は地球を外から自分の目で見たことがないから何とも言えないや。テレビや写真で見たしみんな言ってるからきっとそうなんだろうね。

 

あるバンドの歌詞で

「かつて地球は四角で今じゃ地球は丸くて次は三角にでもなるのかな」ってのがある。

昔は地球は神が作ったものである。四角いのである。象が、カメが、下で支えているのである。地球が丸いというやつは教えに反するので魔女裁判・異端審問の火あぶりである。って感じだったようだ。

そんな中で自分の観測、観察、推察に基づいて地球が丸いと信じ続けた人が、その地球球体説を信じて航海に出た人がいる。観察に基づいて地球が丸く、動いているのは空ではなく地球だと主張した人たちがいる。

中には結果的に結論が現代では覆されている研究もあるだろうけど。

でも問題はそこじゃなくて…私はそれをやってないしできないんだよ!!

 

船で世界一周したことないし、物理基礎すら理解しきれなかったから私には物体が鏡に映る理由もなんで薬が効くのかもどうしてテレビが映るかもこのブログさえもなんの理屈もわからず当たり前のように使っているんだよ…(泣)

 

やはり科学を盲信しすぎているのかな。なんの理屈もわからず、あるから使う。当たり前の存在。みたいな感じだと、過去や過程をしらないと、怖い。

 

私数学ⅠAⅡBのなかで一番得意な分野が微積なんだけど、今日導関数ってなんだって聞かれて答えらんなかった。丸暗記して意味を理解してなかったからすごく短期記憶だったんだと思う。

なぜを問わないで「常識」を受け入れて、検証しないであるがままを享受する。楽だけど危なくないだろうか。

 

でもいろいろやるには人生短い。単純労働はAIがやってくれる世界にならないだろうか。古代アテネみたいに主権者は暇になり、その今を使って学び、議論するようにならないだろうか…。今「ひま」のみが与えられては怠けるだけであろうか?

AIのような新技術をもって古典回帰する、ルネサンスチックな、そんな世界にならないだろうか。やはり星新一ショートショートトーリーみたいになっちゃうものだろうか。

 

もちろんこんなのただぼーっと書いてるだけで結論なんて出ないので、明日の英単語テストに備えて寝よう。

気分最高?

中間テスト終わった!!!

なんだかんだいって高校生なんでね。中間テストありますよ。

 

いやー、結果は知りたいような知りたくないような。

 

そして中間テストが終わったのに喜べないのが受験生。今週末は駿台模試で6月にはまた模試だよ!卒業レポートは今週で下書き完成だし文化祭の準備もあるし忙しいねえ~

 

ほんとは今日から勉強しようと思ってたけど、今日の教科的にもかなり集中しっぱなしだったらしくめっちゃ疲れてて座るのきつかった~~~~~

ということで寝っ転がって本読んだ。「教養としての世界史の読み方」って本。まだ読み終わってないから感想はそのうち。

 

最近知ることの楽しさを知り、知らないことの怖さを知り、知らないで生きることの楽さを思い出し、知ってしまったことに絶望し、考える義務と必然性が生まれて色々考えたけど自分の限界にたどり着いて、友達と話してみるけどそれでも知識の限界に達して、、、あぁまた知識を増やさないと自分がたてた問が進まない。の無限ループ。絶対これ円じゃなくて渦巻だよね。最終的に結論に接しないで死んでいくやつだよね。人生はほんとに何かを成し遂げるには短いですね。・・・高校生にしちゃまとめ暗いな。

 

「明日死ぬつもりで生き、永遠に生きるつもりで学べ」

だっけ。今日の本にあった。なんか、いい。とおもったのでちょっと載せとく。有名だけど。

 

とりあえず明日はテスト終わりの焼肉!!勉強??昼間にするんで安心してください。原動力は蓄え済みです。あとはぴょーんとね。腰にシップ貼って格闘しますよ。

 

明日も読書日和で和室で本が快適に読めますように。おやすみなさい。

 

 

 

 

草枕

夏目漱石草枕。読み途中。というかまだ初めて10ページくらい。

 

すでに思う。この本すっごい好きだ。

ただ、難易度が尋常じゃない。ちょっと理解ができない。一つ前に読んでいた『硝子戸の中』が比較的読みやすかったから余計読めない。

じゃあ何が好きって、言い回しとかつかってる言葉とかがすごく好き。

言葉選びのセンスってすごい素敵な力だな~って思った。しかも数ある言葉の中で選ばれた言葉の(私の場合)繊細さとか美しさをすごく感じた。日本語の勉強になりますなあ。

 

しかし、ほんとに難しいんだ~これが。

読んでると自然と心が落ち着くから教室がうるさい休み時間はこれを読むと決めたけど、なんか私の想像の世界は狭い!

私の想像する山は小さくて、空は低くて、ぼんやりとしちゃって情景が思い浮かばない。辞書ひかなきゃ言葉わからんし、でも書き出しで引き込まれたから読むっきゃないのさ。読みたいのさ。

 

ということで明日からも兎角住みにくい人の世で受験生やりつつ休み時間は読書に勤しみますかね。

 

とても久しぶり。

最近ずっと夜は卒業レポート書いてたからブログをかけなかった・・・。

 

久々に更新。※まだ卒業レポートは終わっていません。

 

色々書くの保留してるからそれらは中間テストが終わったらまとめてかこう。

今日は近況でも。

 

高3になって1か月ちょいたった。みんな受験生モードに入って朝や放課後は静かに自習する姿も多くなったし、「勉強ぜんぜんやってないよ~」という人の約9割はものすごくやっていることを知っているので、きっとみんなかなり頑張ってる。

頑張りすぎて不安と焦りで泣いちゃう人もいるくらいに。

 

特に某私立高校に通っているからクラスの30人は公立落ちで受験に相当な負のイメージを抱えている。私然り。みんな必死に勉強するんだけど、心のどこかにはまた落ちるかもって不安がある。怖いから焦っちゃうんだけど、焦ると考えがまとまらなくなって負のスパイラル。みんな学校では笑ってるけどいろんな悩みや葛藤があるんだろうな。これももちろん私もまた然り。

 

まだ5月。センターですら後35週間。たった35週!と思うんだけど、心理的には長い35週だと思う。みんな精神的にかなり疲れるだろうし、なんだか怖いなあ。

 

こういう時でも放課後に「日本の国債ってなくなるの?」とか、フランス大統領選の話が出るあたりさすがだと思うけど、いつまでそういうこと考える心の余裕を残しておけるだろうか。ひたすら受験勉強で頭が固くなりそうだから、とりあえず世界に置いて行かれないように少しでもニュース追うようにしたいね~。

世界が知らないうちに違う形になっているのは怖いから。

暇ゆえに学べる。

うすしお成長期今週中は無理でございました。

卒業レポート書かなきゃならんのを完全に忘れてまして・・・。

 

うん。GWに書こう。卒レポ出来上がったらゆっくり書こう。

 

なんだかんだ三年は小テストや授業のスピードの関係で忙しいのですね~

いやあ~のんびり生きたい派にはこたえる。ただ、倫理の参考書とかもはや読書としか思えないし、そうやっていろんな文章たくさん読むから頭使って読むとすごい知識が増えていってる感じがしてうれしい。楽しい。・・・はい。早くも狂ってるね。

 

大学への数学(1対1対応)とか問題がいいから解けたら嬉しいし、解答みながら理解していくだけでもめちゃ楽しい。未来の予測に確率や微積が使われてる本読んだときは感動したし、ここ2年間くらい偏差値35とかだったけどやっぱり数学面白いと思う。英語長文は雑学の宝庫だと思う。何読んでも知らないことばっか書いてあって目から鱗。

国語は…個人的にあまり好きではないんだけど例外で古文はすごく好き。できるわけじゃないけど、とくに江戸時代あたりの物語がけっこうツボ。平安貴族の日常とか、江戸時代の紀行文とか想像するだけでワクワクする。ただ、イメージが頭に浮かぶだけで言葉に変換できないので得点にはつながらない。

化学基礎はとくにモル計算とか好きだね~。この前友達に言ったら気持ち悪いってひかれたけど。そして化学好きで元素図鑑買っちゃったし。地学基礎に関しては学校で習わないのでまわりのひとは無理とかわからないとかいうけど、天文部員としてのマスト感。ずっと夏の大三角形すらいえないエセ天文部員だと思ってたけど、エセなりに調べてたことが知識につながっててなんか嬉しい。

そしてなんといっても世界史倫理政経だよね。

たしかに細かすぎて正確な定着ははかれてないんだけど、とにかくすごい人ばっかり出てくるし、歴史を学ぶ意義はないっていう人もいるけど私はニネヴェに図書館つくったアッシュール=バニパル王の存在を知った日からそのへんのまちの図書館もフィルターかかって神聖なもののように感じるようになった。地学もやってるからシルル紀とかデボン紀とかなんなら宇宙ができたころから昨日までの出来事をいろんな立場から辿ってるんだと思うと楽しさで爆発しそう。歴史勉強する動機が過去の過ちを繰り返さないため。とかでなくて申し訳ないけど、私にとって歴史とは…なんだろ。今を見るためのメガネかなあ。どちらかというとサングラス?それを学ぶ意義は…見掛け倒しや時代の流れに騙されず流されないためとかなのかねえ。

 

世界史兼現代社会兼担任がアテネの授業の時に言っていた。暇だから勉強ができるのだと。課題があるからひまじゃねえ!クラブがあるから暇じゃねえ!と思うかもしれないが、クラブに行けるのも暇だから。学生というのは暇人で暇だから勉強しに来てんだと。

普段生きてると学校が当たり前すぎて学校あること前提。行かなきゃいけないものだからいかないと、テストあるから勉強しないとっていう受動的な姿勢になりがち。だけど、本来勉強できるのは当然じゃなく、時間もお金もあるからできることなんだなあと感じると、学生があと5年くらいで終わっちゃうのが寂しい。

 

本を読む多くの人が言う。1000円足らずで知識の集大成を買えるなんて安いもんだと。本に使うお金は惜しまないと。 

またある人は言う。知識人との議論は同じ時間本を読むよりも価値があると。どちらもいつでもやっていいと推奨されていて、場所も人も物もそろっている貴重な場所が暇人の集まり、学校であるのかなと。

 

暇人ゆえに勉強して、議論して、卒業レポート書いて、遅寝早起きしてんだなあと思う。そうすると倫理とかにでてくるような学者たちの日々努力を惜しまず研究を続けている不思議な生き方も理解できる。

 

最近やけに知識の吸収がいいなと思っていたけど、焦って使命感にかられると成績が落ちる法則の逆で自分から学び取りに行くからなのでしょうか。学びの真理の片鱗を垣間見た気持ちになった。(ちっちゃ。)

 

まあ自分で書いててなんだけど普通にただの変人としか思えないので真面目にレポート書いてきます。夜も明日もヒマなんでね。

 

珍しくおとなしく・・・。珍しく暗いなあ。

最近よく思い出す人たちがいる。ほとんどの人の名前も顔も覚えていない。覚えているのは存在のみ。

誰か。英語の先生たちだ。学校ではない。英語教室の先生だった人たち。

私は小6~中2まで中国に住んでいて、英語教室に通っていたのだけど、思い出すのは小6のとき通ってた英語教室の先生たち。

私の基礎英語力はここでついたと思っているくらい私の中では当時思ってた以上の価値が生まれていた場所。

 

基本てきとーだからある日いきなり担当の先生が変わっていたり、たぶん一年間で6回くらい先生変わった気がする。彼女に振られて酒飲みまくって去っていった人もいたし、授業2回くらいしかやってない人もいた。4か月5か月くらい続いてたのにいきなり次の週からいなくなるって宣言されたり、気づいたらいなくなってたり・・・。

 

なんで思い出すのか。名前すら憶えていない人たちにどうして会いたくなるのか。

もしかしたら後悔があるからかもしれない。

英語を話す勇気がなかなかでなくて話し出すことができない、英語の歌を歌うことも拒絶気味・・・。ほんとに英語を学ぶ姿勢としては最悪だったと思う。先生たちはなんとかして楽しんでもらおうと必死にいろいろやってくれてた。わかってたからうまく話せない、声が出せない自分が嫌だった。ほんとはもっと話したかった。今思えば感謝してもしきれないほどたくさんのことを教えてくれていた。

でも、もうどんなに会いたくても会えない。連絡先も知らなければどこの国にいるのかもフルネームも何も知らないから。

会って感謝を伝えたい。話したい。なんでかわからないけど最近驚くほど強くそう思う。

 

特に会いたい人がいる。一番長く教えてくれていたロシア人の先生。記憶にあるのは部屋の中で一緒にサッカーして電球のカバー落として受付のお姉さんに怒られたことと、一曲の歌を教えてくれたこと。例外でなく私が歌うのを拒絶した歌です歌。高一くらいまでタイトルすら忘れていたのに、記憶をたどって、思い出して、今は大好きな歌。そして世界の国の首都を教えてくれたこと。

サッカーはやめてしまったけれど、教えてくれた歌は今でも歌えますよ。教えてくれた世界の首都は私が社会科に、世界史に興味を持ったきっかけですよ。高校生になった今でも教えてくれた首都は忘れてなくてとても役に立っていますよって伝えたい。

 

最近出会った人たちはみんなFacebookで私とつながっている。もちろんコンピューターが使えなくなればきれちゃう縁とかいわれればそれまでかもしれないけど、でも会いたいと思えばきっと職場や学校、イベントに顔出してやってればまたいつか会えるかもしれない。二重三重にもつながってるつながり。母との共通の知りあいだったり、友達の友達だったり。

 

久々に英語の先生たちに会いたくなった時、LINEやFacebookTwitterでつながっていられるのが当たり前の世界に慣れすぎていたのかもしれないって思った。

便利になりすぎて、どんなに会いたくても会うのがとても困難でほんとうに人生で一度きりの出会いかもしれない貴重で、だからこそ価値のある出会いを忘れていた。

「つながること」に重点を置きすぎて当たり前のように毎日繰り返す「出会い」自体に目を向けていなかった。そもそもいつのまにか「つながり」の抽象性ゆえに本質を見失ったのかもしれない。

 

いまさら後悔したところで会えるわけではないし、相手ももう私のことを覚えていないでしょう。街ですれ違ったからといって某映画のように振り返ることもないでしょう。だからせめて、その人との「出会い」があったことを忘れないように、その先生が教えてくれた歌をお風呂でちょっと口ずさむんです。忘れることは怖いから。忘れてしまったら、忘れられてしまったら、その人の中で私が死んで、私の中でその人が死んでしまう気がするから。心の片隅でちょこっとでもつなげておきたい。そのくらいしかできないけど、歌でつながっているって言えるかな。

 

つながりは大事。出会いは大事。言葉ではわかってる。うん、そうだよね。ってなる。でも、その本質はつかめない。そもそも何をもってつながりというのか。何年もあっていなくてもお互いが想いあっていればそのつながりはとぎれないのか、SNSでのつながりはどれほど強固なものなのか。SNSでのつながりはツールに過ぎないのか、はたまたSNSでしかつながることがかなわないのか。

 

いつ死ぬかわからないから言いたいことはいっておけというのはよく聞くが、生きていても、近くにいても、気づいたらつながりがなくなっていることがある。そんなことわかっているつもりでも、それでも素直に思っていることすべてをその瞬間に口に出すことは難しい。まあ難しいから自分で選択して「言わなかった」のならそれでいいと思うけど。

私の場合英語の先生たちには「言えなかった」だからいま後悔している。もちろん後悔だけじゃないし、後悔先に立たずというから後悔だけをずるずる引きずるつもりはない。

ただ、小さな出会いでもここまで人に深く影響を与えるのなら、日頃の生き方もやっぱり考え直すべきか・・・。一日一善と校長先生にいわれたけれど、顔も覚えてないけどとりあえずなんか席譲ってくれたことだけは覚えてる。とか記憶の奥底に眠るレベルのヒーローになりたい。だれだかわからないけど、その存在を思い出すとホッとこころが温まるような存在になりたい。でも、なろうとおもってなれるもんでもない気がする。英語の先生たち絶対数か月だけの教え子がこんなこと考えてるなんて思ってないっしょ。

 

自分の気持ちが表現できているのかも、言葉や表現が適切かも、思っていることの通りかけているのかも全然わからない。何度読み返しても文章つながってない気がしてならないけどまあ今回はしょうがないということで。

 

いろいろと考えすぎちゃうからこのへんでやめよ。

た「つながり」と「故郷」、「夢をもつこと」の3つは個人的にけっこう考えることが多かったから定期的に自分の考えを整理したいな。

あ、だめだ。眠い。

タイトルがあらわしているように、眠いです。

雨風による休校を期待して夜更かししたら普通に学校があったからです。

はい。完全に自業自得。

 

ということで今日書くはずだったうすしお成長記パート2は明日か明後日か・・・まあ今週のどこかに持ち越しで。

 

今日の放課後は久々に勉強しなかった。同じ大学を目指す同志が増え、三人となったのでどういう対策をしているのかとか、今現状どのくらいとれているのかとか作戦会議。

国語の先生に二次対策指導のお願いをしに行き、準備はできた。あとはやるのみ。

 

なーんていうものの、三年の授業にはなれなくてまだ授業が精いっぱい。

単語テスト、例文テスト、世界史小テスト・・・。現社も世界史も完璧に覚えられなくてはやくもペースを乱しつつある。私はよく知っている。できないことはやりたくなくなる。このままいくときっと得意科目だったはずの世界史に手をつけなくなって取り返しのつかないことになる。心ではわかっているのに行動にでてこないあたりが辛いとこ。きっとこころのどこかで大丈夫とか思っちゃってるんだろうな~。大丈夫なわけがない!中間テストの範囲でローマ帝国滅亡して中世ヨーロッパ終わるらしいんでね!終わるのは成績ですよこのままじゃ。

幸い毎日復習するというのは続けられているので、それをどこまで定着させられるか。やっぱり受験生だから暗記もしなきゃならんのですよね・・・。

 

仲間もできて、目標もたった。今からはもはや行動あるのみ。

 

P.S.現社で出てきたのでチャーチル鉄のカーテン演説を聞こうと思ってかけて二周くらいしたんだけど、集中力喪失してて右から左。教訓は、夜はねるべし。

日付超えるのは朝型が超えていい領域ではなかった。7時まで学校にいれば一日4時間の勉強時間を確保できるのでやっぱり家では少し違うことをしたり、寝よう。そうしよう。おやすみなさい。