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暇ゆえに学べる。

うすしお成長期今週中は無理でございました。

卒業レポート書かなきゃならんのを完全に忘れてまして・・・。

 

うん。GWに書こう。卒レポ出来上がったらゆっくり書こう。

 

なんだかんだ三年は小テストや授業のスピードの関係で忙しいのですね~

いやあ~のんびり生きたい派にはこたえる。ただ、倫理の参考書とかもはや読書としか思えないし、そうやっていろんな文章たくさん読むから頭使って読むとすごい知識が増えていってる感じがしてうれしい。楽しい。・・・はい。早くも狂ってるね。

 

大学への数学(1対1対応)とか問題がいいから解けたら嬉しいし、解答みながら理解していくだけでもめちゃ楽しい。未来の予測に確率や微積が使われてる本読んだときは感動したし、ここ2年間くらい偏差値35とかだったけどやっぱり数学面白いと思う。英語長文は雑学の宝庫だと思う。何読んでも知らないことばっか書いてあって目から鱗。

国語は…個人的にあまり好きではないんだけど例外で古文はすごく好き。できるわけじゃないけど、とくに江戸時代あたりの物語がけっこうツボ。平安貴族の日常とか、江戸時代の紀行文とか想像するだけでワクワクする。ただ、イメージが頭に浮かぶだけで言葉に変換できないので得点にはつながらない。

化学基礎はとくにモル計算とか好きだね~。この前友達に言ったら気持ち悪いってひかれたけど。そして化学好きで元素図鑑買っちゃったし。地学基礎に関しては学校で習わないのでまわりのひとは無理とかわからないとかいうけど、天文部員としてのマスト感。ずっと夏の大三角形すらいえないエセ天文部員だと思ってたけど、エセなりに調べてたことが知識につながっててなんか嬉しい。

そしてなんといっても世界史倫理政経だよね。

たしかに細かすぎて正確な定着ははかれてないんだけど、とにかくすごい人ばっかり出てくるし、歴史を学ぶ意義はないっていう人もいるけど私はニネヴェに図書館つくったアッシュール=バニパル王の存在を知った日からそのへんのまちの図書館もフィルターかかって神聖なもののように感じるようになった。地学もやってるからシルル紀とかデボン紀とかなんなら宇宙ができたころから昨日までの出来事をいろんな立場から辿ってるんだと思うと楽しさで爆発しそう。歴史勉強する動機が過去の過ちを繰り返さないため。とかでなくて申し訳ないけど、私にとって歴史とは…なんだろ。今を見るためのメガネかなあ。どちらかというとサングラス?それを学ぶ意義は…見掛け倒しや時代の流れに騙されず流されないためとかなのかねえ。

 

世界史兼現代社会兼担任がアテネの授業の時に言っていた。暇だから勉強ができるのだと。課題があるからひまじゃねえ!クラブがあるから暇じゃねえ!と思うかもしれないが、クラブに行けるのも暇だから。学生というのは暇人で暇だから勉強しに来てんだと。

普段生きてると学校が当たり前すぎて学校あること前提。行かなきゃいけないものだからいかないと、テストあるから勉強しないとっていう受動的な姿勢になりがち。だけど、本来勉強できるのは当然じゃなく、時間もお金もあるからできることなんだなあと感じると、学生があと5年くらいで終わっちゃうのが寂しい。

 

本を読む多くの人が言う。1000円足らずで知識の集大成を買えるなんて安いもんだと。本に使うお金は惜しまないと。 

またある人は言う。知識人との議論は同じ時間本を読むよりも価値があると。どちらもいつでもやっていいと推奨されていて、場所も人も物もそろっている貴重な場所が暇人の集まり、学校であるのかなと。

 

暇人ゆえに勉強して、議論して、卒業レポート書いて、遅寝早起きしてんだなあと思う。そうすると倫理とかにでてくるような学者たちの日々努力を惜しまず研究を続けている不思議な生き方も理解できる。

 

最近やけに知識の吸収がいいなと思っていたけど、焦って使命感にかられると成績が落ちる法則の逆で自分から学び取りに行くからなのでしょうか。学びの真理の片鱗を垣間見た気持ちになった。(ちっちゃ。)

 

まあ自分で書いててなんだけど普通にただの変人としか思えないので真面目にレポート書いてきます。夜も明日もヒマなんでね。

 

珍しくおとなしく・・・。珍しく暗いなあ。

最近よく思い出す人たちがいる。ほとんどの人の名前も顔も覚えていない。覚えているのは存在のみ。

誰か。英語の先生たちだ。学校ではない。英語教室の先生だった人たち。

私は小6~中2まで中国に住んでいて、英語教室に通っていたのだけど、思い出すのは小6のとき通ってた英語教室の先生たち。

私の基礎英語力はここでついたと思っているくらい私の中では当時思ってた以上の価値が生まれていた場所。

 

基本てきとーだからある日いきなり担当の先生が変わっていたり、たぶん一年間で6回くらい先生変わった気がする。彼女に振られて酒飲みまくって去っていった人もいたし、授業2回くらいしかやってない人もいた。4か月5か月くらい続いてたのにいきなり次の週からいなくなるって宣言されたり、気づいたらいなくなってたり・・・。

 

なんで思い出すのか。名前すら憶えていない人たちにどうして会いたくなるのか。

もしかしたら後悔があるからかもしれない。

英語を話す勇気がなかなかでなくて話し出すことができない、英語の歌を歌うことも拒絶気味・・・。ほんとに英語を学ぶ姿勢としては最悪だったと思う。先生たちはなんとかして楽しんでもらおうと必死にいろいろやってくれてた。わかってたからうまく話せない、声が出せない自分が嫌だった。ほんとはもっと話したかった。今思えば感謝してもしきれないほどたくさんのことを教えてくれていた。

でも、もうどんなに会いたくても会えない。連絡先も知らなければどこの国にいるのかもフルネームも何も知らないから。

会って感謝を伝えたい。話したい。なんでかわからないけど最近驚くほど強くそう思う。

 

特に会いたい人がいる。一番長く教えてくれていたロシア人の先生。記憶にあるのは部屋の中で一緒にサッカーして電球のカバー落として受付のお姉さんに怒られたことと、一曲の歌を教えてくれたこと。例外でなく私が歌うのを拒絶した歌です歌。高一くらいまでタイトルすら忘れていたのに、記憶をたどって、思い出して、今は大好きな歌。そして世界の国の首都を教えてくれたこと。

サッカーはやめてしまったけれど、教えてくれた歌は今でも歌えますよ。教えてくれた世界の首都は私が社会科に、世界史に興味を持ったきっかけですよ。高校生になった今でも教えてくれた首都は忘れてなくてとても役に立っていますよって伝えたい。

 

最近出会った人たちはみんなFacebookで私とつながっている。もちろんコンピューターが使えなくなればきれちゃう縁とかいわれればそれまでかもしれないけど、でも会いたいと思えばきっと職場や学校、イベントに顔出してやってればまたいつか会えるかもしれない。二重三重にもつながってるつながり。母との共通の知りあいだったり、友達の友達だったり。

 

久々に英語の先生たちに会いたくなった時、LINEやFacebookTwitterでつながっていられるのが当たり前の世界に慣れすぎていたのかもしれないって思った。

便利になりすぎて、どんなに会いたくても会うのがとても困難でほんとうに人生で一度きりの出会いかもしれない貴重で、だからこそ価値のある出会いを忘れていた。

「つながること」に重点を置きすぎて当たり前のように毎日繰り返す「出会い」自体に目を向けていなかった。そもそもいつのまにか「つながり」の抽象性ゆえに本質を見失ったのかもしれない。

 

いまさら後悔したところで会えるわけではないし、相手ももう私のことを覚えていないでしょう。街ですれ違ったからといって某映画のように振り返ることもないでしょう。だからせめて、その人との「出会い」があったことを忘れないように、その先生が教えてくれた歌をお風呂でちょっと口ずさむんです。忘れることは怖いから。忘れてしまったら、忘れられてしまったら、その人の中で私が死んで、私の中でその人が死んでしまう気がするから。心の片隅でちょこっとでもつなげておきたい。そのくらいしかできないけど、歌でつながっているって言えるかな。

 

つながりは大事。出会いは大事。言葉ではわかってる。うん、そうだよね。ってなる。でも、その本質はつかめない。そもそも何をもってつながりというのか。何年もあっていなくてもお互いが想いあっていればそのつながりはとぎれないのか、SNSでのつながりはどれほど強固なものなのか。SNSでのつながりはツールに過ぎないのか、はたまたSNSでしかつながることがかなわないのか。

 

いつ死ぬかわからないから言いたいことはいっておけというのはよく聞くが、生きていても、近くにいても、気づいたらつながりがなくなっていることがある。そんなことわかっているつもりでも、それでも素直に思っていることすべてをその瞬間に口に出すことは難しい。まあ難しいから自分で選択して「言わなかった」のならそれでいいと思うけど。

私の場合英語の先生たちには「言えなかった」だからいま後悔している。もちろん後悔だけじゃないし、後悔先に立たずというから後悔だけをずるずる引きずるつもりはない。

ただ、小さな出会いでもここまで人に深く影響を与えるのなら、日頃の生き方もやっぱり考え直すべきか・・・。一日一善と校長先生にいわれたけれど、顔も覚えてないけどとりあえずなんか席譲ってくれたことだけは覚えてる。とか記憶の奥底に眠るレベルのヒーローになりたい。だれだかわからないけど、その存在を思い出すとホッとこころが温まるような存在になりたい。でも、なろうとおもってなれるもんでもない気がする。英語の先生たち絶対数か月だけの教え子がこんなこと考えてるなんて思ってないっしょ。

 

自分の気持ちが表現できているのかも、言葉や表現が適切かも、思っていることの通りかけているのかも全然わからない。何度読み返しても文章つながってない気がしてならないけどまあ今回はしょうがないということで。

 

いろいろと考えすぎちゃうからこのへんでやめよ。

た「つながり」と「故郷」、「夢をもつこと」の3つは個人的にけっこう考えることが多かったから定期的に自分の考えを整理したいな。

あ、だめだ。眠い。

タイトルがあらわしているように、眠いです。

雨風による休校を期待して夜更かししたら普通に学校があったからです。

はい。完全に自業自得。

 

ということで今日書くはずだったうすしお成長記パート2は明日か明後日か・・・まあ今週のどこかに持ち越しで。

 

今日の放課後は久々に勉強しなかった。同じ大学を目指す同志が増え、三人となったのでどういう対策をしているのかとか、今現状どのくらいとれているのかとか作戦会議。

国語の先生に二次対策指導のお願いをしに行き、準備はできた。あとはやるのみ。

 

なーんていうものの、三年の授業にはなれなくてまだ授業が精いっぱい。

単語テスト、例文テスト、世界史小テスト・・・。現社も世界史も完璧に覚えられなくてはやくもペースを乱しつつある。私はよく知っている。できないことはやりたくなくなる。このままいくときっと得意科目だったはずの世界史に手をつけなくなって取り返しのつかないことになる。心ではわかっているのに行動にでてこないあたりが辛いとこ。きっとこころのどこかで大丈夫とか思っちゃってるんだろうな~。大丈夫なわけがない!中間テストの範囲でローマ帝国滅亡して中世ヨーロッパ終わるらしいんでね!終わるのは成績ですよこのままじゃ。

幸い毎日復習するというのは続けられているので、それをどこまで定着させられるか。やっぱり受験生だから暗記もしなきゃならんのですよね・・・。

 

仲間もできて、目標もたった。今からはもはや行動あるのみ。

 

P.S.現社で出てきたのでチャーチル鉄のカーテン演説を聞こうと思ってかけて二周くらいしたんだけど、集中力喪失してて右から左。教訓は、夜はねるべし。

日付超えるのは朝型が超えていい領域ではなかった。7時まで学校にいれば一日4時間の勉強時間を確保できるのでやっぱり家では少し違うことをしたり、寝よう。そうしよう。おやすみなさい。

先輩面してきた。

今回は間違いない。長文だよ絶対長くなる。

長くなるから今日のまとめとうすしおの過去編で一回切ろう。今編は別で書くね。

 

今日は特進コースの新一年生に三年生の先輩たる私たちが先輩面して自慢しに行ってきたんです。自慢とは口ばかり、アドバイスにもならないほどただの雑談となってしまった気もするけどね。

部活と勉強の両立とかね、朝学習大事ですよーとかね、校外学習は参加しなね~とかね。などなどありきたりなテンプレのような回答をした後、笑顔で、「まあいろいろ言ったけど一年のうちは危機感感じるくらい遊べばいいと思う。」などと適当かましてみたり。定期テストのための勉強はあんま意味ないから言い訳できるくらいの点数取れるくらいに勉強して残りは受験勉強やっときなとか学校に喧嘩うる友達がいたり・・・。まあ、やりたい放題。笑

一年生に話せよ~といわれていた内容は5ミリくらいしか話していないので代わりにここに自分なりの振り返りでも書いてみようかなあ。

 

うちの学校の特進というのはキャリアデザイン的なのに力入れてるいろいろと自由度の高いコースでして、うちの代は2クラス、1年と2年は3クラスあるんですね。

人数が少ないゆえに生徒が企画して行う校外学習があったり、いろんな分野の大人たちや先生をよんでセミナーやったり、HRの時間にはスピーチやワークショップ、ポスターセッションやったりとまあ面白いこといろいろやらせてくれるおせっかいで大変なコースなんです。

私のクラスは担任が特進の主任やってて一番「そういう」活動が盛んなクラスなんです。運がいいのか悪いのか・・・。そんなクラスで私は2年間校外学習係として何個か企画したり、いろんなイベント出たりたくさん議論して成長したなあ~(しみじみ。)

 

そこで、どんな成長があったのかと、授業や授業外に何やってたかをご紹介。

 

まずどんな成長があったか。ざっと挙げていくとこんな感じ。

コミュニケーション力、書く力、物事を批判的に見る力(クリティカル・シンキング)、スピーチやプレゼン能力、独創性、企画力、議論する力、物事をつなげて考える力、興味の幅の広がり、(頭の)柔軟性、論理的思考、英語力、、、

こんな感じかな。

 

ここでどうやって力が見についたかを見る前に、私の過去の過去を振り返ってみましょうか。自分でいうのもなんですがけっこうヤバいガキンチョですよ。間違いない。

いや~人ってこんなにも変わるんですな・・・。

 

~過去編~

まず、人見知り。初対面の人と話すなんて論外。近所の子と遊ぶのも苦手で「協調」とか「社会性」みたいなところが欠けてる感じ。幼稚園にいけば園長先生が嫌すぎて裸足で砂利道走って幼稚園から脱走するわ、ピアノの後ろに隠れたきりいつまでたっても出てこなわ・・・。小学生になるといい具合に言葉が話せちゃうわけですね。2年生くらいから先生に突っかかっていきます。人見知りの割に。でもしょせん人見知りで恥ずかしがり屋で人とあまり話さなかったので話す力とか欠如してるわけですよ。そこに降りかかる試練「朝のスピーチ」毎回夜念入りに台本を練っていた私でしたが、ある日日直の日を忘れる大失態。家を出てから気づいちゃったんですよね。家に逃げ帰って大泣き。たかがスピーチ原稿できてないだけで。気が強くて「和解」とかいう言葉を知らない小学生の私は上級生男子でもうられた喧嘩買っちゃいました。「ハナシアイ」なんて私の辞書になかったんでしょうね。人と仲良くするのは苦手だし、うるさいのも苦手だし(これは今も変わらないけれど)、そもそも人とかかわりをもつことが面倒でしょうがなかった。

小学校って孤独には厳しい環境ですよね。漫画みたいだけど結局逃げ場は図書館になるわけです。休み時間のたびに走って図書館行ってひたすら本を読む。シートン動物記とかファーブル昆虫記とかマジックツリーハウスみたいなシリーズものを次々読破。休み時間も放課後も本と向き合う。なんたる暇人の極みか。そりゃなんにでも手出しますわね笑

小学生の頃の私は、今の私が鼻で笑われるくらいほんとにひたすら読んでた気がする。活字中毒だったろうな。なにか読んでないと気が済まない。なにも読まない日があってはならなくて、図書館休館日は国語の教科書をひたすら読み漁る。こうして小学校4年まですごした。5年生の一年間は吹奏楽やってたから忙しすぎていきなり読書量落ちた。というか小5以降しばらく本を読まなくなる。

吹奏楽はもともと友達に誘われて入ったわけだけど、今思えばよく続いたもんだと思うほどハード。一応人並みの忍耐力が当時はあったんだろう。(今は・・・お察し。)

相変わらず人間関係はそんなにうまくいかない。そして小6で父の転勤について中国へ渡り新生活へ。という感じだった。ちなみにあれほど人が嫌いでたいして上手にコミュニケーション取れなかった割に中国いくといわれたとき泣いて親を恨んだ。なんたって人見知りが一人も知ってる人のいないとこ行くなんてそりゃどんな拷問かって話だし、なんだかんだそれまで「故郷」を離れたことは一度もなかったわけですからね。

中国へ行ってどうだったか。まあ環境もあって多少は丸くなった。ちなみに現地校ではなく日本人学校。でも相変わらず話すのとか人前に出るのは得意じゃなかった。時々激しく喧嘩するし・・・。協調とか我慢とか他者へのおもいやりとか教えてあげたい・・・。その後少人数アットホームな学校のおかげで次第に慣れてはいきますが。ほかにも大人の人に交じってトランペット吹いたり部長や生徒会副会長をやるようになったからだいぶ人間力が形成されていったのが中2。

 

そして、とりあえず中2まで生きて私に足りなかったものは明らか。コミュ力、頭の柔軟さ、書く話すを含める表現力などなど。「人は社会性を持つ動物である」なんていうけれど、飼い猫のほうがよっぽど私より社会性あるんじゃないかって疑問でならなかったもの。

 

中3で帰国。クラスに溶け込むきっかけは、天が唯一私に備えつけといてくれてたとも思える運動能力。体力テストの50m走で転校生がいきなり7秒台叩き出したらそりゃ驚くよね。意外にもこれが転機?このころから「人間」になれてた気がする。

受験は公立と私立2校を受けて、公立は落ちた。これは絶対勉強不足。日本人学校の先輩は受験期日本に行ってしまうし、私が日本へ帰ったのは中3.しかも私は姉で近い年の親戚などもいないのでそもそも受験がどういうものかまったくわからない。どうしていいかわからず塾に言われる通りかそれ以下しかやらず、結局滑り止めの今の高校へ進学。

高校へ入るころにはそれなりに人と話すくらいはできるようになっていたし、われながら相当暖かい人間になってきたなあと実感したものです。でもまだ頭わっるい。理解力ないし表現力ないし、頭ではいろいろ考えてんだけど言語化できない。難しいこと議論されると翻訳こんにゃくほしくなるし、みんなはすごいなあ~と指くわえて見つめるのが最初は精一杯でしたのさ。

 

過去編はこんなところで。伝えきれたか怪しいけれど、とにかくスタート地点ズンドコです。スタート困難だからそりゃ成長はめまぐるしいよね。ほんとに。

 

大雨なので休校に賭けて「今編」書いちゃおうかな・・・。でも明日学校あるとまずいし、明日のネタがなくなるんでやっぱ温存。

明日あらためてなんてかけるのでしょうか。

大学見学!

金曜日は午前中に東洋大学を見学、午後は千葉工大で私大50校くらいが参加する学校説明会へ。

 

東洋大学…めっちゃきれい。やっぱ私大だなあ・・・。学食もいろんなお店あって、おおっ!ってなりますよそりゃ。偶然行きたいのが国立なだけで、でも逆に国立いってやりたいことないんじゃ受験期に私大にゆれるよねこれ。

国公立より早く決まるし、ほんとに改めて自分は大学でなにしたいんだ、なんでその大学に行きたいんだっていう軸をしっかりもってないとブレる。

 

午後の説明会では逆に外観ではなくどういう学校かっていう説明が聞けたことで選択肢が広がったな~。留学制度が魅力的だったり、学部でやることが魅力的だったり、第一志望は揺らがないだろうけど、併願校を確定させることができてひとつ安心。

 

行く前は模試の翌日だし朝は満員電車だしいやだようとぐだってたし、朝は結局満員電車で酔っちゃって着くまで散々だったんですけどね、いってよかったんだよたぶん。

一番外出て良かったと思えたのは水道橋と津田沼の桜吹雪っていう大学と全く関係ない理由だということは内緒。

来年はどこで桜を見るんだろうとかセンチメンタルな気分にもなりました。

・・・桜のない国までいっちゃってるとか私ならありえて自分ながら怖い。きっと日本のどっかで花見してますよね。今のところ国出る予定とかまったく立ててないですからね。

そろそろ模試が趣味の範囲。

木曜日は丸一日模試だった。

普通は嫌な日、面倒な日なんだろうけど、個人的には最高だった。

出来が最高だったんじゃなくて、模試が楽しかった。

楽しいっていうと表現が雑かな・・・。

 

何が好きって集中力が極限まで高まる緊張感とか、解けた問題がそのまま結果につながる単純な快感とか、実力が数字で出るところ、なんだろう。たぶん。最初の一つ以外は自分でもよくわからないけど。

 

模試の時の緊張感とか集中力が極限まで高まる感じって私の中で今までやってきたスポーツの感覚にすごくつながる。(水泳、サッカー、バドミントン、テニス、バスケ、合気道などいろいろかじっておりました。)

練習というより、試合の時の感覚。始まるまでずっとドキドキしてて心臓バクバクなのに始まった瞬間呼吸も心臓も止まってるんじゃないかってくらい冷静になって必要な感覚だけが研ぎ澄まされていくような感じ。ギューって目の前のテストとか試合とかに引き込まれていく感覚。それが、すごく好き。

テストが終わった瞬間緊張の糸が切れてそのまま机に伏せちゃうくらいの極限の集中。結局スポーツやめても限界突破しちゃうあたり精神的な成長が良くも悪くもないなとおもうけど。笑

そして限界突破するほど極限の集中で全神経集中させたのに解ききれない問題、勝てない相手、みたいなのがいるのもまた面白くて。(模試に関しては全部正解の反省なしに越したことはないんだけども。)

 

・・・いやあ~つくづく思う。結局ただの変態じゃないか。

 

小さいころからスポーツも音楽も何一つ極めることはなく中途半端だし、もともと飽きっぽいからいろいろ手出してた結果、好奇心とか集中力みたいなとにかくなにかしらに応用できそうなものは身についてるみたいでなによりですほんと。なんだかんだ変態の趣味は汎用性高いわ。

 

ペーパーテストで能力計るのが賛成とかやればやるほど優越感に浸れて素晴しいとかそういう意味で模試バンザイなんじゃなくて、やってたスポーツや楽器をすべてやめた負けず嫌いの意地の行き先という変態の領域的な意味で模試バンザイ。

すさまじい負けず嫌いゆえに相手がいると恨みそうになるのですが模試のいいところは解けなきゃ自分の努力不足で外に敵を生まないことも理想的。

 

結局、模試は負けず嫌いの変態がストレス発散の場に使っているという話ですね。

コミュ力や適応能力身に着けた今、またこの集中力をもってスポーツや楽器に向き合いなおしたい気持ちも芽生えた今日この頃でした。

 

ところで、私の汎用性高い変態の伝説は幼稚園の頃当番が帰りの会で自分の気に入った国旗と国の名前を紹介するという企画で「アルバニア」と答えたところまで遡るわけですが、おかげで日本、アメリカの次に覚えた国名はアルバニアでした。中国や韓国じゃないんです。そんな変態の趣味が春休みの課題でもらった白地図に英語で80か国くらい国名と首都書き込んじゃって元素図鑑や日本の名城図鑑買っちゃうほど長じてブレーキが作動しないことをここにご報告。

 

※もちろん模試本来の実力試し、反省材料に、入試の雰囲気になれるためになど普通の活用もしてますからね。

 

 

イライラはなにも生まないのだけど・・・

今日は朝から放課後まで定期的にイライラしちゃってたなあ

 

朝のバスは珍しく激コミで、後ろの方に詰めたのだけどゲームやってるおじさんが絶対に奥に進んでくれない。自分しか見えてないのかなあと少し悲しくなりながら学校へ。

 

一応高3になったので朝の教室は自習室。私語厳禁になっている。

でも8時過ぎたあたりから人が増えるにつれて周りの人と教室内で話す人がやっぱりいる。

集会へ行くときはずっとしゃべっていて、学級委員が注意してもその注意すら聞き流す始末。

昼休みや放課後も勉強している人がいるのだけれどやっぱり大きな声で叫んだり遊んだり。

帰りの掃除のときは担当なのにほうきもって遊んでるだけの人がいて実質二人くらいで教室掃除しているようなものだし・・・。

 

もう少し配慮があってもいいんじゃないかなと思う反面、昼や放課後は自習室や私語厳禁と決まっているわけじゃないから少し注意しにくい。お願いもちょっとしにくいなという感じ。朝の場合は私語厳禁なので雑談は廊下ということになっている。これは守らなきゃいけないから注意もできる。掃除も同意のうえで担当の曜日を決めているのだから任された役割は全うすべきだと思う。それに対してお昼休みや放課後は勉強する人だけを優先して友達と話す人を寒い廊下に追いやるというのはそれはそれでやっぱり違うんだろうかと悩んでいるうちに一日が終わる。

 

騒ぐ人と騒ぐのをやめてほしい人はどちらも生徒という対等な立場だからどこまで言っていいものなのか難しい問題だと思う。

 

・・・ただ、静かにしなきゃいけない場で騒ぐとか、模試が二日後に迫っているのに教室で大騒ぎというのはさすがにやめてほしいのが本音。

私の心が狭いのか、周りの視野が狭いのか・・・。

注意するのも憚られるが、何もしないで傍観者でいるのには耐えられないような感じ。

学級委員も困っちゃうし、半分くらいが受験に向けて集中し始めてきたことで騒ぐ人がお決まりのメンバーになってきててこれからのクラスの雰囲気が不安。

 

ここんとこ楽しく生きてたからマイナス思考に巻き戻されたの久々だった。これからいろいろな発表や受験やで一層ストレスがたまるのにこんなんで大丈夫かと不安になった。

 

気持ちの整理をつけるためとはいえ、見てテンションさがちゃった方がいたらごめんなさい。明日からはまた日々の活動報告や気持ちがプラスに向くようなこと書こうと思ってます。